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2017-06-11

覚醒するとは、人間が本来持っている可能性に気づき、目覚めることだ。しかし、、、

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「覚醒するとは、

 人間が本来持っている可能性に気づき、目覚めることだ。

 しかし、1人では決して出来ない」

自分の可能性、才能を自分以上に信じてくれる存在に出会うと、今までとはまったく次元の異なる人生がはじまる。

自分が知らなかった可能性を発掘してくれる「師」との出会いを、僕自身、何度か経験させていただきました。

可能性を開くという視点で、僕を見てくれる人も。

絶体絶命だと、苦しんでいる時に、その問題は必ず越えられると側で支えてくれる人も。

やりがいのあるプロジェクトや仕事。

この人のためならと喜んで一肌脱ぎたい同志。

気のおけない仲間との少年のような心地で過ごす時間。

どれも、「師」の存在抜きには想像できない。

「可能性とか、もういい年齢だし、、、」

そんな囁きが、もし聞こえてくるなら、よほど自分にブレーキをかけている証拠だ。やりたいことも、旅したい所も、人生を楽しむ時間も、自分自身で過激に制限している。

あなた一人の人生なら、それもいいかもしれない。

しかし、あなたが、あなた自身を制限しているために、どれほど迷惑をかけるのか?と考えたことがあるか?

迷惑というと強く聞こえるかもしれない。

がしかし、言い過ぎではないと常々思う。

あなたが、目を覚まして、誰かのために、何かのために、真剣に生きるとしたら、どんなことがなし得るだろうか?

誰かを救うことができるのではないか?

あなたが真剣にサポートすることで、誰かの夢を実現させられるかもしれない。

心の傷を癒やすことが出来ることもあるだろう。

「自分には、これといった強みとかないし、、、」

そんな卑屈な感覚もわからないではない。

僕も、そうやって小じんまりと生きていたこともある。もう自分には何も出来ないと絶望していたこともある。

幸い、僕は「師」との出会いがあった。

人生の節目で、可能性を開き、絶望の縁にいるときに支えてくれる人がいた。

師との出会いに、もっとも必要なことは「求めること」だ。

自分の可能性を、自分勝手に閉じてしまうのではなく

問題を、たった一人で解決しようと頑張りすぎるのではなく

誰かと一緒に、その時を迎えるという選択肢を提案したい。

可能性が開いた後の人生

大きな問題がクリアされた後の人生

あなたにはどんな人生が開けているだろうか?

僕の師と、仲間はここにいる。

あなたにとっても、最高の空間にきっとなるはずだ。

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