「覚醒するとは、
人間が本来持っている可能性に気づき、目覚めることだ。
しかし、1人では決して出来ない」
自分の可能性、才能を自分以上に信じてくれる存在に出会うと、今までとはまったく次元の異なる人生がはじまる。
自分が知らなかった可能性を発掘してくれる「師」との出会いを、僕自身、何度か経験させていただきました。
可能性を開くという視点で、僕を見てくれる人も。
絶体絶命だと、苦しんでいる時に、その問題は必ず越えられると側で支えてくれる人も。
やりがいのあるプロジェクトや仕事。
この人のためならと喜んで一肌脱ぎたい同志。
気のおけない仲間との少年のような心地で過ごす時間。
どれも、「師」の存在抜きには想像できない。
「可能性とか、もういい年齢だし、、、」
そんな囁きが、もし聞こえてくるなら、よほど自分にブレーキをかけている証拠だ。やりたいことも、旅したい所も、人生を楽しむ時間も、自分自身で過激に制限している。
あなた一人の人生なら、それもいいかもしれない。
しかし、あなたが、あなた自身を制限しているために、どれほど迷惑をかけるのか?と考えたことがあるか?
迷惑というと強く聞こえるかもしれない。
がしかし、言い過ぎではないと常々思う。
あなたが、目を覚まして、誰かのために、何かのために、真剣に生きるとしたら、どんなことがなし得るだろうか?
誰かを救うことができるのではないか?
あなたが真剣にサポートすることで、誰かの夢を実現させられるかもしれない。
心の傷を癒やすことが出来ることもあるだろう。
「自分には、これといった強みとかないし、、、」
そんな卑屈な感覚もわからないではない。
僕も、そうやって小じんまりと生きていたこともある。もう自分には何も出来ないと絶望していたこともある。
幸い、僕は「師」との出会いがあった。
人生の節目で、可能性を開き、絶望の縁にいるときに支えてくれる人がいた。
師との出会いに、もっとも必要なことは「求めること」だ。
自分の可能性を、自分勝手に閉じてしまうのではなく
問題を、たった一人で解決しようと頑張りすぎるのではなく
誰かと一緒に、その時を迎えるという選択肢を提案したい。
可能性が開いた後の人生
大きな問題がクリアされた後の人生
あなたにはどんな人生が開けているだろうか?
僕の師と、仲間はここにいる。
あなたにとっても、最高の空間にきっとなるはずだ。